TopIto, Yoko 伊藤 洋子

Yoko's essay works

伊藤 洋子 の エッセイ

よーこ先生、しっかりしてください。

陰嚢水腫 (いんのうすいしゅ) は コワくない (後篇)

2001/03 vol.003

(‥‥先月から続く。)

診察台にのるのも、今日で最後だ。そう、

3人目の子がおなかにできるか、もしくは婦人科系の病気にでもならない限りは……。

先のことはわからない。

 

母子ともに体に何の異常もないと思っていた。

(土曜日なので、待合室には、真秀(まほ) に絵本を読んであげている夫の姿もある)

特に、智満 (ともみち) は、こんなに元気なんだから絶対に大丈夫だと強く信じていた。

もしも、私の体の方に、何かあったとしたら、どうなるのか?

通院なら、まだいいが、入院はちょっと困る。

── お母さんの体の方は、全く問題ありません。しかし、赤ちゃんの方は、

陰嚢水腫(いんのうすいしゅ)の疑いがあります。

左右の睾丸の大きさがちょっと違います。

おしめを取りかえる時など、チェックしてみて下さい。

── いんのうすいしゅ……ですか?

── 一度、小児科の方で診てもらって下さい。

私の方は、一応、生後1か月迄ということで、

今日が最後となります。がんばって下さい。

 

確かに 智満 の睾丸の大きさは、産まれた時から、左右違っていて、片方の方がかなり大きかったが、

いんのうすいしゅだなんて……。

 

ところで、陰嚢水腫(いんのうすいしゅ)という病気は、名前だけは知っていたが、

実際のところ、なじみが薄い。

(そういった器官が私の体にはないのだから、当然といえば、当然なのだが)

身近な人がそれになったというのも、あまり聞いたことがない。

※ 陰嚢水腫とは陰嚢にリンパ液または漿液が多量にたまった状態

 

病院を出て、近くのファミリーレストランで、昼食をとっている間も、気になって、気になってたまらなかった。

時計を見ると、午前11時半をすぎたところ。

私は、コーヒーを置き、真秀 を夫に頼んで、ベビーカーを走らせた。

かかりつけの小児科迄。

土曜日の診察は12時で終わってしまう。

急がなければ!

 

K医院の前にベビーカーを置き、智満 を抱えて、中へ入っていった。間に合った。

 

── 生後1か月の男の子なんですが、今日、出産した病院で診ていただきましたら、

陰嚢水腫(いんのうすいしゅ)の疑いがあると言われましたので。

── それでは、ちょっとみせて下さい。

 

智満 のおしめを開いてみると、睾丸の左右の違いよりも、

そこに黄色く付着した糞便が、医師や看護婦そして私の目に飛びこんできた。

急いで汚れを取り除き、きれいになった睾丸を診てもらった。

医師は懐中電燈を用意して、智満 のその部分に当ててみた。

 

── そうですね。陰嚢水腫(いんのうすいしゅ)もしくはヘルニア(hernia)かもしれません。

紹介状を書きますので、一度大きい病院に行ってみて下さい。

この辺ですと、都立O病院かJ医大になります。

── ではJ医大の方へお願いします。あちらの病院は、今からでも診てもらえますか?

── 今日は土曜日なので、来週行ってみて下さい。

 

病院は苦手である。特に大きい病院は……。

私はJ医大を選んでから、しまったと思った。

決して遠くはないが、車か自転車でもないと、私の家からは、電車やバスでは、ちょっと不便なのだった。

しかも、紹介状があるとは言っても、まず、予約しなければならない。

担当の医師も常にいるわけではない。

J医大を選んだのは、過去に2度ほど行ったことがあったからだ。

かかったのはどちらも 真秀 だった。

一度めは、生後7か月の時。

親の免疫がなくなってきた頃に必ず来る、病気というよりも一種の通過儀礼である、突発性発疹。

二度めは、2歳9か月になってからで、

風邪による激しい下痢で、4日も続いていた。

真秀 の場合は、どちらも日曜日だったので、救急外来で診てもらった。

今回のように、一般外来は初めてだ。

私はK医院に紹介状を書いてもらった3日後、

智満 (平日なので、当然 真秀 もつれて) を J医大につれていったが、

時間がすでに午後になっていて、結局、その日は、予約も間に合わなかったし、

(予約は午前11時迄にしなければならなかったのを、後で知った)

担当の医師も不在で、行くだけ無駄であった。

病院を出て、曙橋駅まで歩いた。

智満 はまだ首がすわっていないので、横抱きの方の抱っ子ひもだった。

真秀 は歩き。

坂を降りて駅に向かうまでの歩道は狭く、車もけっこう多い。

駅に着いたら、着いたで、階段が多く、しかも急である。

しかし、一駅だけ乗って、市ヶ谷から有楽町線に乗り換えれば、池袋まで一本だ。

有楽町線はいつも通り混んでいた。

OL風の若い女性が、既に12kg位ある 真秀 を抱っこして下さった。

満員電車の中で、しかも、仕事帰りの疲れているであろう筈の体で、見ず知らずの子供を抱っこして下さった。

なんと、それだけでなく、私の家まで 真秀 を抱いてきてくれた。

 

── 本当にありがとうございます。あの、散らかっていますが、お茶でもどうぞ。

── いえ、私はここで失礼します。

── お急ぎでないようでしたら、ぜひ、どうぞ、お入りになって下さい。

 

彼女は私とお茶を飲み、真秀智満 と遊んだ。

智満 の体の事で、ここ何日かおちつかなかった私だったが、その時は久しぶりに楽しく過ごした。

 

翌日、J医大に電話をしたら、連休明けの5月6日にならないと、診てもらうのは無理ということだった。

5月6日は土曜日、出産と産後の休養のために3月と4月は休んでいたが、私はずっと土曜日だけバイトをしていた。

5月6日は復帰第一回目だった。

しかし休んで 智満 を病院へ、と思っていたら、

土曜日は常に休みである夫がつれていってくれることになった。

私が初めから

きちんと電話をして、

担当の医師が確かに来る日を確認して、

当日は朝早く起きて、

予約の時間に間に合うように病院に行けば良かっただけの事だ。

 

病院では、ひとつひとつ かなり待たされたらしい。

例えば尿を採取して、それから呼ばれるまでの間とか。

夫は 真秀 の事もつれていってくれたが、

もう呼ばれる迄の間は、三人とも待合室で眠っていたらしい。

 

智満 はヘルニアではなく、確かに、最初に産婦人科の医師が発見した通りに陰嚢水腫ではあったが、

特に生殖能力に影響するわけでもなく、別に治療とかせんでも そのうち自然に 左右同じ大きさになる

ということだった。従って、慌てて、病院に駆け込むような病気ではなかったわけだ。

 

私がその日、仕事から帰宅したとき、

夫が 真秀 に焼いてあげたホットケーキの残りがあった。

今日は、智満 の病院、そして、真秀 の食事作りと

大活躍の夫であった。

 

私は彼の肩にそっと手をまわしながら

日曜日とかの救急外来の方で

もう一回くらいあのJ医大に行く事があるな

と密かに思った。

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おかげさまで売れてます。

Almost poetical works of Yoko till 1998

[伊藤 洋子 大全 1998]

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