TopIto, Yoko 伊藤 洋子

Yoko's essay works

伊藤 洋子 の エッセイ

よーこ先生、しっかりしてください。

陰嚢水腫 (いんのうすいしゅ) は コワくない (前篇)

2001/02 vol.002

昨年の 3月20日 に 長男・智満(ともみち) は産まれた。

もうすぐ 1歳 になる。

 

智満 という 名前の由来 については、既に御存知の方も多いので(いや、そうでない方も実はかなりいるかもしれない)、
ここでは特に記すつもりはない。

一昨年の夏、妊娠していると、わかった時点では、

何故か女の子の名前ばかり思いついたが、密かに、"男の子" が欲しい!

"男の子" を産みたいと私はずっと思っていた。

ちなみに、夫の方は産まれてくる子の性別に対して、特に強い願望があったわけでもない。

肉を食べると "男の子" が授かるという、俗説があるが、

私は妊娠して、おなかの子が "男の子" とわかったあたりから、

普段だったら、ほとんど欲しくならない筈の "肉" が食べたくなった。

それと甘い物も時おり、欲しくなったな。

某有名タレントみたいに、ケーキ8個 一気食いは、さすがにやりませんでしたが…。

むくみもなく、糖や蛋白も出ず、比較的 順調だった。

しいていえば、貧血気味(それもりっぱな病気だって!?)と医者からいつも言われて、

あのラムネ菓子位の大きさの白い錠剤(造血剤)、

いつも渡されてたんです。

で、毎日それをきちんと飲んでたかですって?

実は ほとんど飲まなかった。

今でも家に何粒も残ってて、旦那が疲れてる時、たまに飲んでます。

貧血気味の方は、すぐに私に お申し付け下さい。

先着5名様迄です

 

話が脱線してしまいましたが、息子 智満 は予定日(4月5日)よりも2週間以上はやく

産まれてしまいました。出産を経験されている方は、わかっていると思いますが、

本物の陣痛はいきなりやってくるわけではありません。

ニ、三日前から軽い痛みが来てはすぐにおさまってしまいまして、

何度かそれがあった後、

いよいよ本物の陣痛を迎えます。

私の場合は、上の子の時に比べて、実にゆるい陣痛でした。

だって、しっかり背筋伸ばして、脚も腰も曲げずに、紙袋持って、

病院まで歩けたんですもの。

真秀(まほ) の時も、徒歩で10分前後の同じ病院に夜中行ったんですが、

体は完全に ばあさんの歩き方だったぜ。

子宮が5 cm (しか)開いてないと言われ

(10 cm 開かないと出せないんです)、

でも、もう入院しなさいでしょう。

診察の後、お約束の剃毛

(でも よくセットで行われると言われる浣腸は されなかった。どちらの出産の時も)、

おなかに器械をつけて、病室で待機。

 

── まほ もママのふとんに入りたい。

── ママといっしょにねたいよお。

── まほちゃん、お願い! ママのおなかには のらないで!

 

手を握ってくれる夫。

それもありがたいけれど、本当は腰をさすってもらいたいのよ。

 

── まほ と外でなんか食べてきて!

── ひとりで大丈夫?

── 今 食べておかないと食べそびれちゃうでしょう。早く行ってきて。

── そうか。じゃあ まほちゃん。パパと行こう。

── ママは いっしょにいかないの?

 

夫と 真秀 が食事に出たすぐ後、破水は起こった。

看護婦が来た。

 

── 分娩台と ベッド どちらに移りますか?

あら、破水しちゃってるのね。

じゃあ、すぐ分娩台に上がって下さい。

 

医者が三人ゆっくりと入ってきて、

まず内診されて

(痛い)

局部麻酔

(痛い)

会陰切開

(これが行われる時点で、本当は自然分娩とは言えないらしい)

そして点滴の用意。

 

── この人、前回の出産の時、本当に二時間で産まれたの?

 

医者と看護婦がこんな話をしている。

うるさい! 大きなおせわだ。前回は前回! 今回は今回だ。

同じ人間のお産でも状況が違うんだよ!

 

── だめじゃないの。そこで力を入れたら、

赤ちゃんの首がしまってしまうでしょう。

もう、頭が見えてきてるんですからね。

── 先生のお話を良くきいて、そのとおりに やりなさい。

── はい、重い荷物を持ち上げるように、いきんで!

 

ずきゃーん、ずぎゃーん!

 

まず目にうつったのは、左右大きさの違う睾丸だった。

 

この病院では、新生児に初乳を飲ませる習慣がない。

生後二日目になって、ようやく母乳を与えろと言う。

産湯できれいになった赤子を私の体の上にのせてくれた。

食事から戻ってきた夫や 真秀 にも見せてくれた。

しばらく分娩台に固定されていた後、

車椅子に乗せられて、

病室に着いて、

ベッドに入った。

TVでは中国のB級映画をやっている。

誰もほとんど見ていない。

もう一度 赤子の顔を見て帰ろうと言っていた夫は、

待ちくたびれて 眠ってしまった。

一晩中 起きていた 真秀 も、

同じく 眠っている。

赤子は今日はもうこの部屋には来ない。

出産の際、本当にエネルギーを消耗するのは、父親である男性の方だ。

少なくとも我が家では。

決して女性だけの手柄じゃないんですね。

二度の出産で、本当にそれが良くわかった。

始発電車が通るような頃、

二児の父になった男と、姉になった女の子は

帰っていった。

 

智満

赤子の名前は 智満 (ともみち)

その名前は既に決まっていた。

智満 は翌日から、私の病室に来た。

夜、ねむる時は夜勤の看護婦が預かってくれた。

母乳は徐々に出るようになってきて、

明日は退院という時、突然、

母乳は搾乳だけして、捨ててくれと看護婦に言われた。

しかも、私と 智満 は一緒に家に帰れない。

彼だけ まだ入院が必要だった。

頬や髪が濡れた。

鼻水が出てきた。

智満 は新生児黄疸にかかっていた。

24時間 光線を当てなければいけない。

電話をかけなければいけない。

家へ。

夫や義母に知らせなければ、

もちろん 真秀 にも。

真秀 は黄疸の事はわからないけれど、

ママと赤ちゃん一緒に帰れないということはわかる。

 

── あれは家の子ですか?

 

ナースステーションの奥の方で、

目だけかくされた 智満 が光線を当てられていたのが見えた。

裸だった。おしめはつけていたのか。

── ええ そうです。

 

母親(わたし)だけの退院の日は、良く晴れていた。

病院はビルの中にあり、工事中だ。

その匂いは外来の方にも激しく伝わってくる。

妊婦には、ものすごく辛い匂いだ。

夫と義母が荷物を持ってくれた。

真秀 も元気だ。

 

新生児黄疸というのは、決して珍しいケースではないらしい。

智満 は、翌日、たった一日違いで退院できた。

真秀 は弟に対して

"あかちゃん"

から すぐに

"とみみちくん"

になり、やがて

"ともみちくん"

と呼ぶようになった。

真秀 の時と同様に、

あまり育ってないので もっとがんばって 大きくして下さい

と言われたが、そんなに気にならなかったとしておこう。

最初、母乳一本槍でいこうと思ったが、やはり人工ミルクも加えての混合栄養にした。

意外と夜泣きもせずに寝てくれる子だったので、随分と助かった。

母体の回復も早かった。

生後一か月もたつ頃には、かなり重くなってきた。

夜はいつもパイプベッドに寝かしていたが、

或る朝、どさっと落ちた(といってもふとんの敷いてある上に。しかも畳の部屋)ので、

さすがにそれはやめて、私のすぐ隣に寝かせるようになった。

(最初から、そーしろよ!)

 

さて、四月二十二日、一か月検診の日が来た。

どーだ、医者と看護婦よ!

我が子は母乳&ミルクでこーんなに大きくなったぞ!!

まだ 何か文句あるか?

 

── 診察前にミルクを飲ませないで下さい。

 

そら、きた!

 

── すいません。あんまりおなかすいたと泣いていたものですから。

 

母親と子供は当然、別々の部屋で診察となった。

 

(...... 来月に続く。)

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おかげさまで売れてます。

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[伊藤 洋子 大全 1998]

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