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伊藤 洋子 の 詩

乳房

あなたは十九の時 初めて胸の手術をした
しかもその日のうちに帰ってきたという
和裁があなたの生活の中心だった
徹夜が続くようになったのはその後から
八年後に結婚(住居は変わらなかった)
二十八歳で長女を産み
三十二歳で二女のわたしを産んだ

あなたのふたつの乳房から流れる液体
姉もわたしもそれを飲んで育った
甘く白い乳汁だけで育った
温かく大きかったあなたの乳房
わたしは永遠にこの手に触れていたかった
十五年前の二月
山に囲まれた病院
あなたは初めて入院した
二度目の手術は雪の激しく降る午後
でもわたしはその日病院に行けなかった
四十八歳の二月
あなたの乳房はひとつになってしまった
発見されたのが早くて良かったと言われた
手術の後 七年と五か月
あなたは生きた
七年と五か月しか生きられなかった
最寄りの駅の安食(あじき)から病院のある成田迄
回数券を使っての通院は続いた
病院で渡される薬が三種類からいつしか四種類に増えた
そして五月末入院
再発は一年以上前から始まっていた

あなたの五十六年間の中で
おそらく一番美しく健康だった時
あなたの胎内に棲みつき
乳房から始まって あなたの生命そのものを
わたしはいつのまにか食べてしまいした

部屋を整理していた時
回数券の残りがあなたのバッグの底から見つかった
有効期限は一九八六年七月二十九日だった

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