TopIto, Yoko 伊藤 洋子

Yoko's essay works

伊藤 洋子 の エッセイ

よーこ先生、しっかりしてください。

詩と日記と私

2001/11 vol.011

実は私は生まれてこのかた、自分の意志で日記というものを書いたことがほとんどない。

〝自分の意志で〟

と書いたのは、小、中学生の頃に先生に強制されて書くのは、違うでしょう。

それに、誰にも見せないわけではなく、先生に見せる時点で

あれは一種の交換日記ですよね。

だから そういった提出する日記には、100% 書きたいこと、思っていること なんて書けなかった。

日記と言わず、何故か中学校の頃は〝生活ノート〟あるいは〝マル秘ノート〟なんて名前だった。

それは担任が考えたり、クラスメイトの1人が考えたりした名前だった。

中学が終わった時は ほっとした。

もうこれで先生に日記を提出しないでいいんだと思って。

だいたい、私は学校そのものが好きではなかった。

高校は本当は同じ中学から来た者がいない学校が良かった。

全寮制の私立に入ろうとしたが、周囲に反対された。

月謝が高いという理由で。まあ、他にもあったのだが。

結局、入った公立の高校には 同じ中学から来た者が かなりいた。

ここで 3年も過ごすのかと思うと、うんざりしてきた。

いつやめてやろうかと思っていた。

一緒にお弁当を食べたり、休日に買物に行ったり、映画をみたりする友達はできた。

1年生の途中から その子と何故か交換日記をするようになった。

あ! 女の子です。

別に 私も彼女もそちらの趣味はなかった。

どちらかといえば、その女の子は 学級委員長もやったりして、

皆んなをぐいぐい引っぱっていけるタイプだった。

けっこう人気もあり、よく本を読んでいた。

そう、本が私と彼女の共通の趣味だった。

途中で交換日記を何度か休んだ時期

(例えばテストの期間とか)

も あったが、結局 卒業まで続いた。

彼女と交換日記を始めた頃、

それとは別に 私は 個人的に 少し 日記を つけるようになった。

しかし、ほんの少しの間だけだった。

詩はその頃、毎日書いていた。

その女の子を始めとして、何人かにみせたが、

どうも、あまりピンときていないようだった。

ノート数冊になっている。

もっと子供の頃は漫画を描いていた。

私は、子供の時から、何かをかくと 人にみてもらいたくなる。

漫画にしろ 詩にしろ 散文にしろ、

書いてる時は 読み手なんて考えてないのだが。

漫画は15歳の頃 描くのをやめた時点で すべて処分してしまって 全く残っていないが

(描いていたといっても 単なるノートに描いていて 特別な道具を持っていたわけじゃない)

16~18歳頃に書いた詩のノートは、何故か ずっと 持っている。

あんまり関係ないが、数10年後、孫でもできたら、

その記念に若書きのものを全て出版してみようかな。

真秀(まほ)智満(ともみち) どちらかに子供ができたら。

(あっ!皆さん、真秀(まほ)は子供産めるけれど智満(ともみち)は産めません。どこかの女性に産ませねばなりません。)

話を戻します。

日記と呼べるほどの日記は現在もつけてません。

手帳は常に持ち歩いて、

その日の出来事、行った場所、演ったlive、子供たちの予防注射、食事の中味、買った物

などは 箇条書きにしますが。

まあ、日記というより日誌ですかね。

 

真秀智満が学校に入る頃は どうなるのかな。

絵日記の段階なら先生に提出してもいいけれど、

それより大きくなった生徒の日記は

大人は 見るべきではないと私は思う。 

goods

おかげさまで売れてます。

Almost poetical works of Yoko till 1998

[伊藤 洋子 大全 1998]

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