TopIto, Yoko 伊藤 洋子

Yoko's essay works

伊藤 洋子 の エッセイ

よーこ先生、しっかりしてください。

[カエル] と酒と私と

2001/05 vol.005

私が [カエル] という詩を書いたのは、1988年11月。

今を去ること、13年前。

まだ、20代半ばを過ぎたばかりであった。

当然、独身。子供もいなかった。

カエル」という詩と切っても切れないのが、

お酒≠ナある。

お酒≠ニ 私 の関係

伊藤 洋子は お酒とのつきあいが長い。

5歳頃、洋酒入りのチェリーチョコレート

(何のお酒だったかは不明。)

を1度 食べてしまったことがあり、

いい気分になった彼女は、家のすぐ隣にある小学校

(やがて彼女も通うことになる)

の校庭に入った。

ケロヨン ケロヨン≠ニ歌い、そして おどりながら。

丁度、学校の子供たちが授業中だったし、風の向きも関係して、

学校には聞こえなかったらしい。

ちょっと 残念であり、又、ほっとしてもいる。

 

7歳(数えて)の七五三の時、ぶどう酒を小さな盃で

4杯ほど飲んだ。

後、その頃から、毎日、ねる前に 母手作りの 梅酒を飲んでいた。

 

11歳の冬、風邪をひいた時は、父が 神棚から、わざわざ、

御神酒を下げてくれて、

それを ひと口 飲んだ。

 

16歳の夏 高校では生物部に入っていて、

夏休みの合宿で福島に行き、

OBや先生もふくめて、喫茶店に入った際、

OBに すすめられて、ビールを飲んだ。

先生は どうしてたかな? 確か離れてすわっていたのか。

 

17歳の夏、小学校のクラス会があった。

当時の担任だった先生も着て、先生がいる間は

お茶とお菓子だったが、先生が帰った後、

悪ガキ供は、まだ残っていて、たちまち お茶

から ビール に なった。御心配なく、

乱行≠ヘ あっても 乱交≠ヘ ありませんでしたよ。

え? 誰も心配してませんって?

 

しかし、それ以後、飲まなくて、本格的に飲みようになったのは、

やはり 22歳を過ぎてからですね。

 

一番、致命的だったのは、24歳の秋、上野で友人

(女の子)(当時の職場の同僚)

と一緒に飲んだ あの夜でしょうか。

初めに 2人で 黒ビールを飲み、その後 パイナップル・ハイを

かなり 沢山 飲んだらしい。その友人は とにかく、

酒が好きで、そして強い。(酒による失敗も かなりしている。)

その子は 自転車で 蔵前 迄、そして、私は当時、千葉の実家

の方にいたので、常磐線で(直通があれば)

安食/あじき

という駅まで帰ろうとしていたのだが、目が覚めたら、

病院のベッドの上でした。父が白い帽子と白衣を着て、

私の目の前に立っていました。

何と、医者の話では、私の体は、湯島の路上に転がっていた。

まず、警察が発見して、すぐに救急車を呼んで、

すぐ近くの病院である、そこに運んだらしい。

私の尿道には、人工的な管が通されていた。

それは、その前の年に、病気で入院中の母がされていた物と

同じであった。

私は 自分で すぐに その管を はずした。

倒れる前に持っていたカバンはあったが、

サイフは なかった。(中に1万円も入っていたのに)

頭が痛くはなかったが、ものすごく吐き気がして、

看護婦が あららら、という間もなく、

消毒液入りの洗面器の中に、大量に吐いてしまった。

意識が戻ったので、すぐに帰された。

車で帰ったのだが、浅草のあたりを通る時、あおむけで見た

朝日が ものすごく まぶしかった。目が痛くなってきた。

私が倒れた時、持っていたアドレス帳に、当時の職場の電話番号が書いてあった為、

警察が そこに連絡してしまい、会社中に知れてしまった。

(会計事務所で忙しい時季だったので、夜中でも人間がいたのだ。)

3日後、私は、クビになった。

1ヶ月後、一緒に飲んだ女の子もクビになった。

酒の席で、所長にキスをされそうになったので、

所長を なぐってしまった為らしい。

私は、しばらく、外で

(お店で という意味で、人の家では 飲んでいた)

飲まないことにした。

人の家で飲む時は、もう そこに泊まることにした。

その女の子とは、彼女が結婚したあたりから会ってない。

王子あたりに住んでいるから、割と近いし、会いたいん

だけど。

 

カエル」は どうして できたか。

先に話した、

(急性アルコール中毒で)倒れた時の事が、1年たっても

まだ、不思議で、はずかしいとか辛いとか苦しいとかくやしい

じゃなくて、自分のことなのに他人の身に起こったような出来事に思えて、

これはそのうち何かに使えるんじゃないかと。

(会社がクビになった事は、正直言って、そんなに辛くなかった。

会社の悪い部分がその前からわかっていたし、

プライベートでも色々あったので、

少し ゆっくりしたいと思っていた。なんて、別に

かっこつけてるわけでは決して、ないです。

でも、父親の方が気にしていて、早く新しい仕事さがせ、さがせ 言っていたので、

結局は、のんびりできなかった。)

 

父子家庭、父1人子1人で 悪いとは思ったけれど、

そういうこともあって、倒れた日から1年後には、家を出た。

別に 親元にいても、詩は書けた。

ただ、電車の時間を気にしつつ活動するしかないのは いやだったし、

駅から が、また、歩くと、ものすごーく 距離が ありまして、

当然、深夜はバスもないし、

いい年して、親に むかえに来て なんて言えないし、

親も寝ずに待っているわけにいかないし、

タクシーは金がかかるし、

私は免許取る気もなかったし、

まあ、深夜の道を いつも 1人で 歩いて 帰って きてました けれど。

 

カエル」 は 1人暮らしに なってから、初めて 書いた 詩 では ありません。

それ以前にも、何篇か 書いていました。

 

まあ、色々と 謎を 秘めていて、エロチックで、馬鹿馬鹿しくて、シュールで、せつなくて、意地悪で……。

自分でいうのも なんですが、なかなか 面白い

詩 に なった と 思います。

さあ、今度は いつ、liveで、この詩を お届けしましょうか。

その前に、興味のある方は、ぜひ、「カエル」 を クリック

してみて下さい。

 

カエル」 を 書いた頃は、確かに、酒が好きでしたし、

当時、つきあっていた男性を始めとして

私のまわりに酒飲みばかりいた。

酒の生活は その後も続いていましたが、

8年後の妊娠を きっかけに、

そんなに体が欲しがらなくなりました。

 

いやあ、酒って、やめようと思えば やめられるんですねえ。

詩は 決して、やめませんが…。

人によっては 「酒」 と 「詩」 を 入れ替えて 読んでみて

下さい。 なんてね!

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おかげさまで売れてます。

Almost poetical works of Yoko till 1998

[伊藤 洋子 大全 1998]

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