TopIto, Yoko 伊藤 洋子

Yoko's essay works

伊藤 洋子 の エッセイ

よーこ先生、しっかりしてください。

会わない理由

2001/04 vol.004

先月、このコーナーで、[次回は「会わない理由」をお届けします] と確かに予告しておいたが、

書きかけて、一瞬、私の筆は止まってしまった。

〆切が迫ってきているというのに、(もう今夜なんですよ!)

何をどうしていいかわからなくなってきている。

書きたかったことは、はっきりしていたし、

モデルもいた。

それを書いてしまった後に、果たして、何が残るのか?

と考えていたら、書けなくなってしまった。

その人物とは憎み合って別れたわけでない。

(ああ、いっそ、それの方が もっと 書きやすいのに。)

中学(クラスは同じになった事がなかったが)

2年生までと、高校が同じだった。

中2の途中で、その子は転校していったが、高校で、再会した。

その後 20年近く、手紙も電話も まあ、今でしたら、Eメールも来ませんで、今年の正月、

突然、年賀状が来た。高校の卒業生名簿をみて、

私の現住所を知ったと書いてありました。まあ、

私も何度か引っ越していますから、そういうのでもみなければ、ずっとつきあいのない人の場合は

連絡のつけようが、あっ、まあ、実家にいる私の父親は健在ですので、

彼がつかまれば、私の居場所はわかるんですが。

なにしろ、不在の事が多いですからねぇ。70近いというのに‥‥。

まあ、それはさておき、その女の子(あ、きかれてもいないのに、

いつのまにか自分から女の子と書いてしまっている

のが、何ともおかしい)と私の間に、いったい

何があったのでしょう。

 

この際、彼女の名前を、絹美(きぬみ)としておきましょう。

 

絹美 は 中学に入学した年に知り合った。

なんだったかな?確かうっかり体操服を

忘れてしまった時、彼女に借りたりして、

少しずつ、親しくなっていった。

割と絵のうまい子だったと思う。

冬になると、しもやけになるところが私との

共通点だった。

絹美の好きだった子が私と同じ小学校を

出ていて、卒業間近に全員で撮った写真が

1枚あったので、軽い気持ちで絹美にあげた。

(自分の小学校に対して、思い入れはなかったので、)

そしたら、絹美が自分の小学校の卒業の頃の写真を

私にくれた。私は別に写真を交換するつもり

は なかった。彼女からもらうつもりはなかった。

自分の小学校の卒業の写真を人にあげてしまうなんて

と 私の親は ものすごく怒った。

私は、どちらも欲しくなかった。

学校の記念写真も嫌いだった。

結局、私の手元に自分の写真が戻り、絹美の手元には

彼女の写真が戻ってしまった。

 

親しくなってはいたが、絹美が好きだった

かというと、どうだったのかな。

今年、年賀状が来て、“会いたいですね” と書いて

あった時には、一瞬、白黒反転して

しまいそうになった。年賀状の返事は書きましたが、

できれば、会いたくない。

 

絹美は私に対して、どのくらい懐かしがっていたのか。

 

高校が終わって、住み込みで、就職を

したようだが、その間、全く連絡はなかった。

当然、向こうから連絡をしてくれなければ、

こちらからは連絡しようがないのだった。

その後、結婚もしたようだったが、それも

知らせがなかった。

今年の年賀状で、姓が変わったのをみるまで‥‥。

 

絹美は中学1年で父親を亡くし、

中学2年 母親を亡くした。

きょうだいは いなかった。

天涯孤独と なってしまった。

 

母方だったか、父方だったか どちらかの

おばあさんと絹美はしばらく暮らしていた。

夏休み私も 他の友人と 1度 彼女の家へ遊びに行った。

縁の下から 猫が 沢山 飛び出してきた。

あの猫は やがて どうなったかな。

 

絹美は何度か私の家にも来た。

おばあさんを1人残して、彼女は家を出た。

私以外の子の家にも何日か泊まっていた。

本当は、彼女は、いずれ、親戚の家に

ひきとられていく予定だった。

絹美は、それが嫌で、かといって、おばあさん

と2人でいるのも嫌で、あちこち泊まり歩いていた。

 

中学2年の夏休み、絹美はほとんど、私の家にいた。

いずれ、親戚に引きとられ、他の中学校へ転校する。

これは、どうすることもできなかった。

そんなに、彼女は その親戚が嫌だったのか。

漫画やドラマや小説のように果たして、そこで

いじめられ、こきつかわれる毎日だったのかしら?

彼女が本当の事を言っても、言わなくても 謎だ。

親戚で、可愛がられていようが、そうでなかろうが、

私の知ったことではない。

14歳では、結局、誰かの世話にならなければ、

生活できない。学校にも行かれない。

私にどうすることもできない。

しかし、絹美は たくましい女性だった。

どんな状況でも生きていける人だと、出会って

すぐに わかった。

私に対して、実に有効な使い方をした。

必要がなくなった人間に対して、いつまでも、

義理だて する必要もない。

だからこそ、それを最後まで、(死ぬまで)

通してほしかった。

中途半端な気持で年賀状なんか送って

ほしくなかった。

ああ、彼女に返事を書いてしまった私も

どうかしていた。

しかし、私はこれから先、死ぬまで、絹美に

会わないだろう。

彼女のおばあさんはまだ、御存命なのかな。

あの縁の下の猫はもう、いないだろうな。

 

私は「会わない理由」というタイトルで、どう書こうかと、

未だに 悩んでいる。

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おかげさまで売れてます。

Almost poetical works of Yoko till 1998

[伊藤 洋子 大全 1998]

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