TopIto, Yoko 伊藤 洋子

Yoko's essay works

伊藤 洋子 の エッセイ

よーこ先生、しっかりしてください。

午後6時」解説

2001/01 vol.001

フローリングの床の上に敷いてるふとん。

私はその上に横たわっている。そういえば、

もう4日、食事らしい食事をしていなかった。

ちょっとでも食べると、たちまち吐いてしまう。

11月21日33歳。ひとり暮らしではない。

10か月程前から、或る男性の栖に私がおしかけてきてしまった。

しかし、彼も大胆な男であり、一緒に暮らし始めた翌々日、

早くも彼の実家の方へ向かう列車に私を乗せていた。

いつのまにか切符を二枚用意していたのだった。

丁度、大晦日だった。最も家族水いらずで過ごしたいような時期に、

どこの馬の骨ともわからない私なんかを、いきなり実家に連れて行ってしまうなんて、大丈夫なのかしら?

やっぱり、物事には順序がありますよね?

なんて考えていたら、いつのまにか入籍してしまった。

このおなかのなかには、来年産まれる予定の子もいる。

ちゃんと育っていってくれたら、確かに、来年の5月に産まれる。

本当に育ってくれているのでしょうか?

カップ麺(できれば塩味)

魚肉ソーセージ(色の薄い物)

チキンナゲット(ケチャップなし)

ポテトチップス(コンソメ)

ジャンクフードばかり欲しくなる。でも

食べられない。それに 起き上がって そのどれかを買いに店まで歩く気力もない。

トイレに行くのがやっとである。

こんな状態がいつまで続くんだろう。

医者にも行けず、物を食べず、人にも会わず、

おまけに声も出なくなり……。

1年後はどうなっているのだろう。

ああ、今の私の姿は誰かに似ています。

私の最も近くにいた人物。

9か月間、やわらかい袋の中で私を包んでくれていた人。

私をこの世に送り出した後に、

その人は燃えつきてしまった。

或る状態で産まれてきた私をみて、その人は嘆いた。

乾いた私の瞳を見て、その人は嘆いた。

 

死んでいる。

 

首にぐるぐる巻きになっている へその緒を見て、その人は嘆いた。

まわりにいた者たちも、もうあきらめかけていた。

その時、何が起こったのか。

私は泣き出した。

私の声は皆に聞こえた。

そして、もちろんその人にも届いた。

私は生きていた。

私は呼吸をしていた。

その人も生きていた。

10年前の夏、確かにその人は生きていました。

その人の肉体は腐っていきながらも、存在していました。

その人の肉体は末期の癌に喰い荒らされていました。

物も食べられず、水も飲めず、体を動かすことも、衣服の袖を通すこともできなくなっていました。

 

あの人が亡くなる前、雨が降っていました。

今、私の部屋の外でも雨が降っています。

左利きでない私は、普通に右手で鉛筆を持ち、

そのへんの新聞広告の裏の白い部分に文字を

書く。

 

くずれていく皮膚

飲めない水

 

時計を見たら、夕方の6時を過ぎている。

午後6時

狭い部屋

 

午後6時

狭い部屋の中

鳴り続ける電話

横たわるあなたに背をむけて

階段を降りていって10年

受話器を握り

わたしは声を出す

横たわるあなたが声を出す

ずっと雨が降っている

 

詩がひとつできた。

タイトルは「午後6時」。

私は再び横たわる。

 

× × × ×

 

今から5年前のお話です。

 

その後、ワンルームから2DKに引っ越し、

掛けぶとんは ぼろくなって処分しましたが、

敷きぶとんのみ残っています!

 

あの時 私のおなかの中にいた子というのは、何をかくそう

陣痛からわずか2時間で産まれてしまったという

長女・真秀(まほ)でした。

 

午後6時」という詩はライヴでも わりと やっています。

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おかげさまで売れてます。

Almost poetical works of Yoko till 1998

[伊藤 洋子 大全 1998]

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